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「自分らしく生きる」とは?

プロフィール
Blue Bottle Coffee Japan合同会社
 ジェネラル・マネージャー 伊藤 諒 氏


1982年東京都生まれ。東京大学卒業後、三井物産に入社。資源分野での物流/投資業務、経理業務を経験し、米国カリフォルニア大学バークレー校へMBA取得のため留学。留学期間中に米国ブルーボトルコーヒーにて日本事業立ち上げサポートのインターンとして勤務後、2016年5月にブルーボトルコーヒージャパンに入社。事業本部長として製造/物流/店舗開発等を担当し、2018年から韓国/香港の市場開拓及び事業立ち上げも兼任。2020年8月より現職。


伊藤 諒さんの「自分らしく生きる」についてお話を伺った。



伊藤さんはどのような幼少期を過ごされてこられたのでしょうか?

はい、父が新聞記者の海外特派員でしたので幼い頃3歳から5歳はエジプト、小学校4年から5年生はスイス、高校では交換留学でアメリカと、海外の色々な地域で生活していました。思い返すと幼いながらにとてもコミュニケーションが好きな子供だったように記憶しています。たとえば海外で家族で食事していても、周囲のテーブルに勝手に自己紹介しにいくみたいな。覚えたばかりの英語を使いたくて、物怖じせずにいろんな人に話しかけにいくような子供でした。ここは今の自分の性格にも繋がっているかもしれないと振り返って思いますね。

色々な文化のなかで幼い頃からコミュニケーションを取られてきたのですね?

はい、まさに幼い頃から色々な国で多様なバックグラウンドの人たちと生活していたことで、たとえば見た目が違うといったことに対しても抵抗感は一切ありませんでしたし、基本的にみんな同じ人間だよね、という価値観が物心つく頃にはすでに芽生えていたと思います。

伊藤さんはスポーツからも強く影響を受けていらっしゃると伺いました。

中学から大学までずっとバスケットボールをやってきました。僕がバスケを通じて学んだのは、たとえ生まれ育ったバックグラウンドや考え方が違ったとしても一旦プレイを共にするだけでチームメイトであり、友達になれるということ。勿論、それぞれに価値観や思想はあるので壁がないわけじゃない。でもしっかりとチームを創って、そのチームを一つの目標に向かっていけるようにできればその壁さえも取っ払っていける。様々な人と出会い通じ合えること、そして垣根さえも取っ払っていけるということ。そんな学びをスポーツからは得ることができました。

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社会人になっていくうえでもその学びは選択に影響を与えましたか?

そうですね、大きく影響していると思います。社会に出るときに外交官という選択肢も考えたのですが、日本という枠組みを強く意識せざるをえない外交官ではなく、ビジネスという世界でより幅広く自由度をもって多くの人と出会い、チャレンジが出来るという観点で自分は総合商社を選択しました。世界中の多くの人々と出会い、そこにある垣根を取っ払ってチームを創っていきたいというのは、幼少期の多様な環境での生活や、スポーツで育まれた価値観なんだと思います。

ご家庭の教育方針はどのような感じだったのでしょうか?

両親の方針は明快で「自分で決めなさい」というものでした。受験でも就職活動でもアドバイスは基本的に一切なし。育てている過程で考え方は教えているはずだから、それをベースにして自分の人生、自分で考えて決めなさいと。「お前はどうしたいのか?」という問いをもらうことはありますが、最後は自分で決める。両親はその決断を支持したうえで、もし何か困ったことが発生したなら家族で一緒に乗り越えようという方針でした。小学6年生のときに日本に帰国して受験校を決めるときも、就職活動で総合商社を受けるときも、両親として思うところはあったのだろうと思いますが、なにも言わずに「いいんじゃないか?」と。自分で決めることに対しての不安はありましたが、その両親のスタンス、方針に対する絶対的な信頼感と安心感はありました。

「自分で決めなさい」という明確な方針に対する信頼感があったのですね。ちなみに、「両親の期待はなんだろう?」と自分の意思とは裏腹に、期待に合わせにいくような意識はなかったのでしょうか?

いや、それはめちゃくちゃありました。むしろその呪縛のようなものには永く囚われていた感覚があって、大人になってからようやくそこから逃れられた印象すらあります。

そもそも自分自身、学生時代から周囲を見渡して上手く調整したりするのが比較的得意なほうで、社会人になってからも両親の期待だけではなく、会社であったり周囲からどう見られているか、どうして欲しいだろうか、どうしたら喜んでくれるかな、ということは結構意識して生きてきたと思います。勿論譲れないところは譲らないんですが。

例えば、社会人になってからの社費留学先を選択する際にも基本的には東海岸を選ぶ人が非常に多い環境で、会社から期待されていることをひしひしと感じつつ、自分のやりたいことと照らしたときに一番フィットを感じたのが西海岸のBerkeley(カリフォルニア大学バークレー校)だったんですね。結局、東海岸の学校は受験すらせず、留学先としてBerkeleyを選んだんですが、当時は周囲から色々な意見をもらいました。譲れないことは譲らず自分で決めるんですが、会社の目は常に気になっていました。結構幼い頃から周囲の目や期待を気にしながら生きていた感じではありましたね。

周囲の期待を意識するなかで葛藤や苦しさはありませんでしたか?

ありましたね。仕事していて、空気を読んだり、行間を読んだり、感情を読んだりすることって、ポジティブにはたらくこともあるとは思うんですね。上手く活用出来さえすれば。ただ自分自身どうだったかというと、そこからどっぷり抜け出せなくなっていた感覚がありました。これが当時は結構辛くて、なんとかこれを捨て去りたいという想いももっていました。留学後にブルーボトルコーヒーに転職したのも苦しさを捨て去りたいという想いも一つの理由ではあったのですが、根本で大きく後押ししたのはBerkeleyでの体験でした。

Berkeleyには自分自身、ここが一番フィットすると思って入学したのですが、そこにいた仲間たちは、当時の自分のように周囲の目を気にしたり、恥ずかしいからと自分の本心を隠したりとかではなく、自分の信じた道に向かって自分をさらけ出して100%地で生きてるような人たちだったんですね。そのコミュニティに身をおいたときに心から感じたのが「あぁ、自分もこうやって自分の信じたものに向かって素で生きてもいいんだ」ということでした。極端な話、BerkeleyではMBAをとれたことよりも、ここに気付けたことが、自分の人生にとって大きな学びでした。

自分の人生を生きようとしている仲間との出会いがとても大きかったのですね。

そうなんです、なんのために自分の人生の時間を使っているのかみたいな意識は常にありましたし、オリジナルの人生を歩みたいという意識は元々あったんです。でもその一方で何かロールモデルのようなものがあると安心するし、それをトレースしたら成功の確率もあがるだろうという想いもあった。でもそのまた一方で、心のどこかでそれってつまんない人生なんじゃないか?とも気付いている。どう生きていくのか、その考え方に葛藤を抱えていたんですね。

これって非常にイマイチで、自分自身の人格形成にも強く影響しているチームスポーツに例えてみてもわかるんですが、スポーツのあのコートのなかって、一番努力して、一番考えて、準備をしっかりした人が勝つし、充実感を得られるという非常にフェアなフィールドなんですよね。結果を出そうと思ったら自分の心に勝って、誰よりも努力をする。自分もそうやってきて、その充実感を知っているはずなのに、キャリアにおいては何かロールモデルを探して「こうやったら勝てるよ」、「スタメンになれるよ」っていうプランを誰かからもらえないとアクションが出来ないような状態になってしまっている。こんな自分をめちゃくちゃ恰好悪いなと気付いていながらも、そこから抜け出せていない。そんな自分にとってBerkeleyでの仲間との出会いは非常に大きな転機となりました。

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自分の人生を生きる、という意思で伊藤さんは留学後に転職に踏み切られるわけですが、そもそも三井物産でのお仕事は充実されていらっしゃった?

はい、とても充実していました。最初は鉄の原料を輸入して鉄鋼メーカーに売る仕事を担当して、その後は鉱山投資などに携わって、「鉄は国家なり」ではないですが大きなスケールで経済発展に寄与し、異なる国を繋ぐという商社らしい商売に携われていることに非常にやりがいを感じていました。出会えた人たちも含めて、ファーストキャリアを三井物産でスタートできてとても良かったと思っています。

その環境から敢えて飛び出されたわけですね?

三井物産はいまでも大好きな企業なんですが、当時心に引っかかっていたことが三つあったんですね。一つ目は、三井物産はカルチャーもやり方も既に確立している企業であるということで、常にその確立されたなかで戦っている感覚があり、自分自身、社外で勝負できるのか?という疑問が常について回っていたこと。二つ目は、自社のやり方とメンバーだけではなく、いろんな思想を組み合わせて、もっと様々な人を巻き込んでチームを創り、そこでクオリティの高い意思決定を出来るようになっていきたいという想いが自分の中で高まっていったこと。三つ目は、守られた環境にいる自分に違和感があったことですね。ミスをしてもクビになるわけでもなく、終身雇用って甘えなければ素晴らしい制度だと思うのですが、ダウンサイドのリスクが少ないんですね。そういう守られた環境ではなく、もっとちゃんと自分の決断が自分に跳ね返ってくるようなところに身を置いたほうが自分をもっと高められるんじゃないかということ。もっと言えばそこに自分は甘えてしまうと思った。これらを総合して、この先自分が50歳になったとき、自分だからこそできる意思決定をして成し遂げるような仕事が出来るようになっているためにはより厳しい環境に自分をおいたほうがいいなと考え、Happyではあったのですが辞める決断をしました。

その瞬間の幸福度ではなく、将来自分らしい人生をおくるために安住するのではなく一歩踏み出したほうがいいと思われた。

当時はうまく言語化できていなかったのですが、いま思えばそのほうが直感的に自分は幸せだと感じたんですね。いま動かないとあとで絶対後悔するぞ、という感覚がどこかにありました。が、それに気付いた後から決断までのしばらくの間は心と頭にフラストレーションを抱えました。

フラストレーションですか?

自分の心は動いたほうがいいと直感で感じているんです。なのに、頭では色々留まることに理由付けをしようとする自分がいて、ロジックと感情の板挟みで説明ができない状態になっていました。僕はインターン中に、ブルーボトルコーヒーの本気でコーヒーで世界を変えようとしているチームの皆に出会ったとき、自分のなかで譲れないキーワードである「多様性」を思いっきり刺激され、「あぁこういうチームで働きたい」と心の底から感じたんですね。でも一方で、社費でMBAに行かせてもらっているし、日本でお世話になった方々も帰国後活躍してくれることを期待してくれているだろうし・・ということがたくさん頭をよぎるんですね。たくさん自問自答しました。

その結論として至ったのは、「自分、卑怯だな」という想いでした。それって結局お世話になった方々に期待されているということを美談にして、留まる自分を正当化しようとしているだけで、結局決断する勇気がないだけじゃないかと。本当に三井物産では、素晴らしい上司や仲間に囲まれていたので、本当に自分がチャレンジしたいと伝えたなら「そう決めたならチャレンジすれば?」ときっと言ってくれるような方々だとわかっているはずなのに、その方々の期待を言い訳にしてチャレンジしようとしていない。そんな自分は卑怯だなと。

例えば、もし可愛がってる後輩が同じように自分に相談しにきたなら、やっぱり自分も「それはただの言い訳だろ?本気で心惹かれることがあるならやらないと逆に失礼じゃないか」ってアドバイスするなと。まさに文字通り自問自答することで、最終的に転職を決断しました。

心で感じていることをロジックで抑え込まない、という決断ですね。

そうですね、ここから自分らしさについてのロジックとパッションのバランスが良い意味で崩れていった感覚があります。留学前は、帰国したらこの部署に入って、海外駐在を目指すべきじゃないかというようなロジックで考えるところが多かったのですが、そういうことが意識のなかで薄れていき、まず自分が本当にエキサイトできているのか、自分が良いコンディションであれているのかを前提として大切にしようと。

そうでないと自分らしさの象徴でもある最高のチームなんてつくれるわけがない。そういう意味で自分の直感をロジックで抑え込むのはとても不健全だと思うようになっていきました。


そして、ブルーボトルコーヒーさんに転職して環境を大きく変化させたわけですが、いかがでしたか?

これが全然上手くいきませんでした。実は入社から半年を見据えて、日本の代表を当時の代表の井川から引き継ぐようなプランでジョインしたのですが、半年から1年は本当に全然結果が出せなくて苦しみました。ここは最終的に人の目を気にするくだらない自分のプライドの話にも繋がっていくんですが、例えば大企業で自分が1から10だと思っていたことが実はベンチャーでは2から5でしかなく、これまでは前段を誰かが整えてくれていて、最後の仕上げも誰かがやってくれていた。そんなことすらもなかなか認識できず、自分では1から10まで十分やっているつもりでも周囲からみると「なんで途中までしかやらないの?」「オーナーシップ弱いよね」、みたいに言われてしまう。自分では強いオーナーシップをもってやってるつもりなのに、という悔しさもあり、ことごとく上手くいかない。時間だけはたくさん働いているのに、感謝もされない。自分は自分でプライドが邪魔をして周囲に助けも求められない。まさに悪循環でした。

そして、また例の悪い癖で、周囲からどう見られているんだろうということも気になりだして、本当にダメダメでした。更にそれを見かねた会社からは、少し業務のスコープを狭めようかという提案をしてもらったにもかかわらず、自分はまたくだらないプライドで「それは嫌だ」と断ってしまったり。

環境の違いもありますが、プライドが邪魔をしたと。

そうですね、そういう意味では前職を退職するときには皆、誰一人嫌なことを言うでもなく気持ちよく応援して送り出してくれたんですが、そんな皆に対する情けなさ、MBAをとってベンチャーにチャレンジして実績を出して代表を担うという、ある意味一般的に理想とされるコースに全然乗れず、良いチームも全然創れていない、そんな自分への恥ずかしさ、格好悪さ。そんなことばかり気にしてオープンマインドになれてもいない。そんな自己嫌悪の渦の中にいました。

その当時の伊藤さんの心境を想像するだけで胸が痛くなってきますが、そこから何が転機となったのでしょうか?

そうですね、当時代表であった井川から言われた言葉が大きかったです。「貴方はこのタイミングでブルーボトルコーヒージャパンの代表になるために三井物産のキャリアを捨てて転職してきたの?それとももっと別の目的があって転職してきたの?」と。思わずハッとするものがありました。自分は50歳になったときにもっと良い意思決定が出来る自分でいられること、そのためにはダウンサイドのリスクもとってチャレンジする生き方をしたいと思ってここにきたはずなのに・・・。そこであらためて自分の状態を正しく認識できたんですね。失敗が少し立て込んだくらいでプライドに縛られて何を泣き言いってるんだと。リスクのある環境にいかなければ甘えてしまうと偉そうに言っていた当時の自分を思い出し、純粋にダサいなと。

大好きなブルーボトルコーヒーの世界観を世のなかに広めていくという意義深い仕事に携わらせてもらっていて、やったことのないことにもチャレンジできていて、負け試合があるかもしれないというヒリヒリとした感覚のなかでやれている、まして給与ももらえていて、仲間も素晴らしい。この状況をあらためて認識したときに、「グダグダいってんじゃねぇ」と。

ここでようやく自分自身一つ一つ積み上げるしかないじゃないかと、本当に心から思えたんですね。ようやくです。そうすると心のあり方が変化したからなのか不思議なもので、色々な方との出会いが繋がって良いものになり、携わっていた京都、神戸のオープンが素晴らしいものとして形になり、周囲からの信頼も少しづつ積みあがっていきました。そうしてプロダクションもサプライチェーンも任されるようになっていき、日本の出店のみならず韓国の立上げのバックエンドのオペレーションをすべてやってほしいと。結果的に今ある韓国8店舗のうち7店舗は自分が担当したんですが、まさか入社当初は自分が韓国のオープンに携わっているとは予想だにしていませんでした。まさにタイミングでご縁が繋がり広がっていったんです。

あのときの井川からの本質的な問いとその後の成功体験から、近視眼的にならずに「本来の目的はなんだったのか?」ということを定期的に振り返るようになりました。

本来の目的に立ち返り、プライドを横に置くことで色々なことが前に進みだしたんですね。

そうですね。プライドを横に置くという点ではその後、出会った本にも心に残る共通した言葉があったんですが、それは「鎧を脱ぐ」というフレーズでした。自分はそれこそ学歴や社歴も踏まえて、こうしなければいけないという思いをどこか勝手にもってブルーボトルコーヒーに入っていたと思います。日々の課題に対して常に皆が納得する解を提示しなければいけない、頭は常にシャープでなければいけない、感情は押し殺して常に冷静でなくてはいけない、パッションは井川の役割で自分はクールでいなければいけない・・・と、とにかくガードを固めていました。

でも、自分は本来そういうタイプでもなく、全然自分らしくないなと。そこから鎧を脱ぐように「〇〇しなければいけない」を剥がしていったんです。周囲にどうみられるかじゃなく、自分がこうしたいからやる、その結果それを理解してくれる仲間がチームになっていく。そのほうが自分らしくて良いなとようやく素直に思えるようになったのがブルーボトルコーヒーに転職して数年経ってからですね。まさに鎧を脱がないと良いチームは出来ないことを体感しました。

以前はこれが怖かったんですね。素の状態の自分についていてくれる仲間が本当にいるだろうかと。根本的に自分にはあまり才能と言われるものがない分、諦めずに努力でカバーし続けなきゃと思っていて、自分は才能もなければ自信もあまりないんですね。なので自分が素になったときにどれだけのメンバーがついてきてくれるかというところにずっと不安がありました。でもちゃんと自分に嘘をつかずにやっていたらそれを魅力に感じてくれた仲間が集まってくれて良いチームが出来てきた。仲間には感謝しかありませんが、ようやく最近になって経営していることへの自信がついてきたというのもあります。

肩の力が抜けてきた感覚です。

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肩の力をぬいて自然体であり、素の自分でいられるようになってきた。

そうなんです、自分自身プライベートでは、雪山に登ったりアニマルフローにはまっていたりしてるんですが、以前だったらこういう趣味はやっぱり周囲からどう見られるかを気にしていたと思うんですね。ただ、いまは周囲の目は関係なく、自分を素の状態に戻してくれるアクティビティとして自然、ウェルネスが欠かせないものになっています。これはビジネスパーソンとして優れているかどうかという観点ではなく、自分らしくいられることってなんなんだろうかという感覚なんですが、自分の感性が赴くままに自然からインプットを増やして、それを自分なりの表現でチームに還元していくこと。これが自分だからこそ出来ることなのかなと感じてとても大切にしています。

伊藤さんは何を想いながら雪山に登り、自然と向き合っていらっしゃるのですか?

言語化が少し難しいのですが、時間を感じるというのはあるかもしれません。2000メートルを超えると雪山って木もなく音もない世界になっていくんですね。静寂の空気。そこで感じるのはきっと何千年も変わらない、悠久の時の流れであり、絶対的に抗えない自然の力。これを感じることで謙虚な気持ちになっていく感覚があります。そして、自分は生きているというより、生かされているんだということに対しての感謝の心。時間であったり命であったり、自然と向き合うなかで感じることというのはまさに「真理」なのではないかと思います。

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そう考えると、自分はいまこの大いなる時の流れのなかでたまたま経営者の任を得ていますが、この自分に出来ることというのは、精一杯そして最大限に自分のポテンシャルを広げ、自分なりのインプットを周囲に還元して、代表のバトンを受け取ったときよりも少しでもこのブランドをいい形にして次の世代に引き継ぐこと。これが自分ができる唯一のことなんじゃないかと思えます。

自分が経営者であるこの期間に何か無理に名を残そうとかいう考えは一切ありませんし、自分がこのブランドを受け取ったときよりも良いものに出来ないと感じたなら潔く退くべきだとも感じています。この考えは自然と向き合い始めてからより腹落ちするようになってきたと思います。

大きな視座で物事を捉え、あらためて自分を見つめていく。そして、事業をしっかりと存続させていく。ここのバランスを如何にとるか、これが経営の醍醐味であり面白味だと感じますし、そんな自分の行動で、今いるメンバーの先々が明るく広がったり、ブランドに触れることで新しい価値が産まれたりといった、未来に起こることの種まきができたら嬉しいなと感じています。

最後に、伊藤さんにとっての「自分らしさ」とはなんでしょうか?

直感に従う勇気をもてている状態、でしょうか。直感の声を無視しないでいきていくこと。たとえ公私混同は良くないことという価値観が世の中にあったとしても、自分はプライベートのなかで直感したことをブランドや商品づくりにも思いっきり活かしていけると感じていますし、何よりそれが自分にとっての幸せでもあります。

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頭だけではなく、素直に心で感じたことに従って生きること、自分に正直に。そして、この勇気を維持して自分を整えるために自然と触れあい続けること。


これが僕の自分らしさなんじゃないかと感じています。





インタビューを終えて

いかがでしたでしょうか? 伊藤さんの「自分らしい生き方」に辿り着かれるまでのストーリー。これは決して順風満帆なものではありませんでした。心が惹かれるほうへと決断したチャレンジの先に予期せぬ困難があり、その困難を想いの原点に立ち返り、心のあり方を変えることで乗り越えていかれた。そんな伊藤さんが辿り着かれた自分らしさとはなんだったのか? それは、頭で考えることよりも、心で感じたことを大切にし、直感に従う勇気をもって生きること。そしてその状態を維持するために、自然と向き合い続けること、でした。

伊藤さんのお話を聴かせていただき、あらためて「自分らしい生き方」とは、決して簡単に体現できるものではなく、理想未来を強く思い描きながらチャレンジや葛藤をも経験していく過程において、自分自身と真剣に向き合っていくからこそ見いだせるものなのだろうと感じました。

もしもあなたが、チャレンジの先で困難に直面したら?
 ※インタビューメディア「i f」からの問いです。是非想像してみてください。


それはチャンスなのかもしれません。その困難を乗り越えた先に「自分らしい生き方」が見えてくるというチャンスなのかも。


 

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Blue Bottle Coffee Japan合同会社
ジェネラル・マネージャー 伊藤 諒 氏

1982年東京都生まれ。東京大学卒業後、三井物産に入社。資源分野での物流/投資業務、経理業務を経験し、米国カリフォルニア大学バークレー校へMBA取得のため留学。留学期間中に米国ブルーボトルコーヒーにて日本事業立ち上げサポートのインターンとして勤務後、2016年5月にブルーボトルコーヒージャパンに入社。事業本部長として製造/物流/店舗開発等を担当し、2018年から韓国/香港の市場開拓及び事業立ち上げも兼任。2020年8月より現職。

 



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