余命宣告から「和製ガンジー」へ。3650日を悔いなく生きるためのインド移住
事業会社で数々の立ち上げを経験した後、ベンチャーキャピタルへ転職したHさん。年収が上がっても虚無感を抱えていた彼を襲ったのは、突然の病と「余命10年」の宣告でした。「悔いなく棺桶に入りたい」とMCDに参加し、周囲からのフィードバックと自分自身の原体験から「和製ガンジー」としての使命に気づきます。家族を連れてインドへ移住し、失敗を繰り返しながらも自分の信じる道を歩み続ける彼のストーリーをご紹介します。
どんなモヤモヤを抱えていたのか
8歳の時に父を亡くし、母が鬱になるという環境で育った私は、「自分が倒れたら一家離散になる」という危機感から、意識的に場を明るくするムードメーカーとして生きてきました。社会人になってからも、「目の前の人を笑顔にする」ことを大切に、コスメ業界やインドでの人材ビジネス、ホテルスタートアップの立ち上げなど、手触り感のある事業に奔走しました。
しかし、コロナ禍を機にベンチャーキャピタルへ転職すると状況は一変します。エクセルとにらめっこしながら投資判断をする日々で、年収は上がったものの「つまらない」という虚無感に襲われました。
そんな入社2年目、健康診断で緊急入院となり、腎臓の病気が発覚します。1日7リットルの水を飲み、20回もトイレに行く過酷な生活。さらに医師から「10年は大丈夫だと思うけど…」と告げられました。当時、子どもは0歳と2歳。「3650日。マジで短いな」と絶望し、「たとえ途中で人生が終わったとしても、悔いなく棺桶に入りたい」と強く思うようになりました。しかし、そのためにどう生きればいいのか答えが出ず、藁にもすがる思いでMCDに飛び込んだのです。
MCDでの印象的な体験
MCDで最も衝撃的だったのは「自分インタビュー」です。私は周囲からどう見られているかを知るため、母や兄弟、過去の同僚など30人以上に話を聞きました。自分ではただの「明るいチャラ男でビビり」だと思っていたのに、周りからは「勇者」「生まれながらのリーダー」と評価されていたのです。このギャップに驚き、もしかしたら自分が持っている才能をきちんと開花させられていないのではないか、と気づかされました。
また、過去を振り返る「ライフジャーニー」のワークを通じて、自分の人生が常に「暗から明へ」と向かっていること、そして「暗闇にいる人に光を届ける」ことが自分の本質だと腹落ちしました。さらに、利害関係のないメンターが私の人生に本気で向き合ってくれたことも、自分の熱量を引き上げる大きな要因となりました。
どんな旗を立て、どんな一歩を踏み出したか
MCDの最終プレゼンで、私は「和製ガンジーとして、カオスで数奇な人生を最後の瞬間まで一人でも多くの人に光を届け続ける」という旗を立てました。「ガンジー」は私の名前の韓国語読みに由来し、非暴力で人々を導いたマハトマ・ガンジーの生き様とも重なります。
自分の残り時間を考えた時、今まで自分を育ててくれたインドに恩返しをしようと決意しました。MCD卒業の半年後には会社を辞め、全財産52万円にブランド品を売って作ったお金を足した100万円を握りしめ、妻と幼い子ども二人を連れてインドへ移住するという、大きな一歩を踏み出しました。
そして、どう変化していったか
インドに渡った後は、マッチングアプリで起業したものの、CTOと揉めてシステムを強制ダウンさせられるなど、波乱万丈の連続でした。しかし、そこでも「目の前の人に光を届ける」という旗に立ち返り、インドの若者の救いとなっている「日本のアニメ」に関連する事業を新たに立ち上げました。
数万人規模のアニメフェスを企画し、100社以上に断られながらも大手企業からスポンサーを獲得。当日になってシステムがハッキングされ、大炎上して号泣するような出来事もありましたが、そのたびに「和製ガンジーはここで立ち止まったか?」と自分に問いかけ、前を向いて歩き続けています。
MCDに参加していなければ、私はお金を貯めるために時間を無駄にしていたかもしれません。「残りの人生を1秒たりとも無駄にしたくない」。これからも「和製ガンジー」の旗を胸に、最後はかっこよく生き抜きたいと思っています。