大手ビールメーカーの宣伝部という、誰もが羨む場所にいながら、Oさんの心は常に「何者かになりたい」という焦りで満たされていました。「車を売ってまでMBAを取ったのに、なぜ任されないのか」。青い鳥を追い求めていた彼がMCDで踏み出した「最初の一歩」は、安易な転職でも独立でもなく、「今の会社に残って、目の前の仕事で勝つ」と熱く覚悟を決めることでした。
30代半ば、僕は完全に「青い鳥症候群」でした。 20代で労働組合の専従役員を経験し、経営者と対話する中で「自分も経営を担いたい」と一念発起。愛車を売ってまで資金を作り、自腹でビジネススクールに通ってMBAを取得しました。視座は高まり、意識も高い。「さあ、俺を使ってみろ」と意気込んで現場に戻ったんです。 でも、現実は厳しかった。目立った成果を残せず、卒業して約2年半後に配属された宣伝部での評価は「中の上」。上司からは細かい指示が多く、裁量が感じられない。同年代の活躍を見ては、自分はこのままでいいのかと焦りを感じる毎日。満たされない承認欲求に、心が支配されていたんです。
MCDに参加して最も新鮮だったのは、自分と違う年代、特に若い世代の参加者たちとの出会いでした。私自身は「一つの会社に尽くす」という価値観で生きてきましたが、彼らは多様な業界の人と付き合い、広い視野と多くの選択肢を持って軽やかに生きていました。また、製薬業界という比較的恵まれた「ホワイトな環境」の当たり前が、他の業界では全く当たり前ではないことにも気づかされました。利害関係のない人たちと対話する中で、私の凝り固まっていた固定概念が少しずつほぐされていくのを感じました。 特に印象的だったのは「死んでみるワーク」です。自分が本当に大切にしたいことは何なのか、自分の弱みも含めて自己開示できる心理的安全性の高い場で、他のメンバーの話を聞き、自分自身を深く見つめ直すことができました。
最終プレゼンで僕が宣言したのは、「会社に残る」ことでした。 「何者かになるために外に出るのではなく、まずはこの場所で、誰にも文句を言わせない圧倒的な結果を出す」。それは、逃げの残留ではなく、攻めの残留宣言でした。 当時担当になった新商品に全精力を注ぎ込みました。上司の細かな指示にも腐らず、泥臭い調整も厭わず、ただひたすらに「商品を当てる」ことだけに集中したんです。
腹を括って踏み出した結果、世界が変わりました。手掛けた新商品は、当初の計画を遥かに超える大ヒット商品になり、社会現象にもなりました。 もちろん、大企業なので人事はすぐには変わりません。でも、社内の見る目は明らかに変わりました。「彼に任せておけば、なんとかしてくれる」。そんな信頼が積み上がり、今は希望した商品開発の部署で、コンセプト作りから任されるリーダーをしています。 かつて自分の評価ばかり気にしていた僕は、今、社内で若手向けの私塾を立ち上げ、後輩たちの旗を立てる手伝いをしています。「ここにいて良かった」。今は心からそう言えます。