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「家業への反発」が「尊敬」に変わった日。26歳の新たな挑戦

作成者: miraiflog|Aug 6, 2026, 6:05:37 AM

 

どんなモヤモヤを抱えていたのか

私は愛知県の出身で、実家はトラック100台以上を保有する運送会社を営んでいます。幼い頃から、仕事のトラブル対応に追われ疲弊する父を見て、「あんなふうにはなりたくない」と反発し、就職活動では父の会社とは真逆の、グローバルでスマートな総合商社を目指しました。 2018年、念願叶って商社に入社しましたが、配属されたのは希望していた営業ではなく経理部門でした。さらに3年目を迎えた頃、コロナ禍が直撃します。在宅勤務でPCの画面と向き合うだけの日々の中で、「自分は何のために働いているのか?」という虚無感に襲われました。 長男である自分へ、「家業を継いでほしい」という父の思いは感じていました。でも、継ぐ覚悟もないし、かといって商社で骨を埋める覚悟もない。安定もステータスもあるけれど、「自分の人生を自分で選んでいる」という手触り感が決定的に欠けている。どう動けばいいのか分からない、そんな「キャリア迷子」の霧の中を彷徨っていました。

 

MCDでの印象的な体験

転機となったのは、MCDの「ロールモデルインタビュー」でした。私はそこで、「実際に家業を継いだ後継者」や「スタートアップで働く営業の方」にお話を聞きに行きました。 家業を継いだ方々のお話は衝撃的でした。突き詰めていくと、会社の規模ではなく、「その道を自分で選んだと言い切れる覚悟があるか」が、働く人の目の輝きを決めているという事実に気づかされました。「継がされた」と思っている人は辛そうで、「継ぐと自分で決めた」人は楽しそうだったのです。 「父の仕事を知らずに、勝手なイメージだけで悩み続けるのはやめよう」。そう決意した私は、勇気を出して両親を名古屋駅近くのホテルのレストランに誘い、初めて真正面から問いかけました。「継ぐ、継がないは別として、社長としてどんな想いで仕事をしてきたのか聞かせてほしい」と。 すると母が即座に口を挟みました。「事故やトラブルに振り回されて、精神的にもすり減る仕事よ。あなたには継がせたくない」と。しかし、父は静かに語り始めました。「確かに泥臭くて大変な仕事かもしれない。だけど、うちには社員が160人いる。その家族まで合わせれば、1000人近くの生活を、俺が守っているんだという誇りがある」。 その言葉を聞いた瞬間、幼い頃からの反発心が、一瞬にして「尊敬」へと変わりました。自分は商社の看板に守られているだけ。でも父は、泥臭い現場で、人の命と生活を背負って戦っている。自分の中に流れるルーツである「物流」への熱い想いが、力強く込み上げてくるのを感じました。

 

どんな旗を立て、どんな一歩を踏み出したか

私はMCDの最終プレゼンで、「運送業を豊かにする。父が経営しているような会社が楽になる仕事をする」という旗を立てました。 父との対話を経て、家業を継ぐかどうかは、あくまで手段の話にすぎないと気づきました。自分の人生の目的は、父の会社が抱えるような、アナログで非効率な現場の課題を解決すること。「自分で決めた」と腹が決まった瞬間、長年の迷いは嘘のように消え去りました。 旗を立てた私に、もう迷いはありませんでした。商社を退職する決意を固め、MCDの仲間の紹介で、物流業界の課題をITで解決する、創業間もないスタートアップ企業に出会いました。当時の社員数はわずか5名でしたが、私は社長に直談判しました。「僕を採ってください。物流を良くしたいんです。父のような会社を助けたいんです」。その熱意だけで、6人目の社員として採用されました。

 

そして、どう変化していったか

年収は下がり、商社時代の整った環境とは真逆の、泥臭いドブ板営業の日々が始まりました。しかし、私の顔はかつてないほど晴れやかでした。がむしゃらに顧客の元へ足を運び、2年目には売上の大半を一人で作る結果を残し、現在は営業部長として組織を牽引しています。 スタートアップの毎日はハードですが、「運送業を豊かにする」という旗があるから、ブレずに前に進むことができます。今、父の会社を継ぐかどうかは「五分五分」です。でも、今の場所で旗を全力で振った先に、また新しい選択肢が見えてくると知っているからです。 MCDで手に入れたのは、「自分の人生のハンドルを自分で握る」という感覚そのものでした。「自分で選んだ」と言い切れる人生は、こんなにも楽しく、力強い。あの日、モヤモヤしていた自分に教えてあげたいです。「大丈夫、お前の人生は、これからもっと面白くなるぞ」と。